「カメラを買おう」という初心者は、どのようにして愛機を選ぶべきか(作ってはすぐに消したnote)

写真・カメラ

なんだか、気まぐれにnoteのアカウントを作ってちょこっとだけ記事を書きました。
しかしまぁ、1つ2つ書いてやっぱり放置ですよ(笑)
こっちもろくにいじってないのに何やってんだかなぁ…。

あっちで書いたもの

題:「カメラを買おう」という初心者は、どのようにして愛機を選ぶべきか。

 私たちの住む世界には、時間という概念があります。そして、過ぎ去った時間は、二度と同じそれを繰り返さないものです。今日見た景色、それは、もう永遠に訪れないということです。
 そのような景色をのこしておく方法が、2つだけあります。自らの記憶にのこしておくことと、写真として記録しておくことの2つです。前者は、説明するまでもないでしょう。見たものを、自らの頭に、心にのこしておくわけです。これは、自分一人で完結することのできる、最も簡単な方法です。対して、写真として記録すること。これは、自分一人ではなく、カメラという相方があって初めて成立する方法です。ここでは、写真というのこし方について、考えていきましょう。

 写真とは、文字通り考えれば「真」を「写」すものです。その歴史は、紀元前に発見されていたとされるピンホールの原理か、あるいは中世ヨーロッパのカメラオブスキュラか、どこまで遡るべきかは議論の分かれるところでしょうが、少なくとも日本においても百年以上は見ることができます。その初期は、銀塩などといったフィルムを用いる写真が主流でした。その仕組みは、光を受けてそれを「真」に「写」しとるものでした。ええ、文字通り写真というのは「真」を「写」すものだったわけです。
 しかし、時代は変わりました。20世紀も終盤の頃に、現在主流のデジタルカメラが姿を現します。デジタルカメラでは、光を、フィルムではなくデジタルセンサが受け取ります。この違いは何であるのか。フィルムは、受光してそのまま化学変化を起こしてアナログに記録を行います。対してデジタルセンサは、受光してそれをデジタル変換(以下、D変換と省略)します。さて、このD変換というのは、どのような意味を孕んでいるのでしょうか。
 D変換とは何か考えるとき、写真ではなく音声・音楽を例にとった方が理解がしやすいと考えられます。どうやら最近は、レコードが一部で注目を浴びているようです。聞くところによると、そのままの音が収録されていて温かみがあるのだとか。それを技術的に見ると、アナログ記録というところに原因があります。レコードは、その盤面に掘られた連続的な溝で音を記録しています。対してデジタルなCD等は、音というアナログ体を、データというデジタル体へと変換して記録しています。その一連の流れを、音の再生まで含めて考えると以下のようになります。
アナログ:原音→アナログ録音→再生
デジタル:原音→アナログ録音→デジタル変換→アナログ変換→再生
 CDでは、間にデジタル・アナログ変換が余分に加わっていることが分かるでしょう。これらの変換は、一般の音質の変化(主に劣化)が少なくとも生じるものとされています。
 さて、話を写真へと戻しましょう。デジタルカメラではデジタルセンサにより受光し、それをデジタルデータへと変換すると先に述べました。換言すると、光というアナログ体を、データというデジタル体に変換するというわけです。つまり、音の例同様に、少なくとも変化が生じるのです。
 つまり、デジタルカメラで写す写真は、「真」を「写」すというよりかは、「真」に基づいて「写」すと考えるのが適切であると考えられます。見る景色(真)を、デジタル化という脚色を加えて写し取るわけです。

 さて、そろそろ表題について考える頃です。カメラを買いたい初心者は、どのようなカメラを選ぶべきなのでしょうか。現代において初心者がカメラを買うというと、それはほとんどデジタルカメラを指すと言って間違いないでしょう。ですから、ここではデジタルカメラに絞って考えていきます。
 「カメラ 初心者 選び方」などとインターネットで検索してみれば、数多のサイトや記事がヒットします。個人が書いているもの、カメラ販売業者が書いているもの、書き手によってその思惑は異なります。好きなメーカーを薦めたい念が見え隠れしたり、高い機種を売りつけたい意図が表出していたり、それは様々です。「初心者は高い機種にいきなり手を出さない方が良いというのは、高級機種が買えないひがみだ」という記述を目にしたときには、さすがに呆れ果てました。
 そのような有象無象の中には「外観等、感覚で好きなものを選べ」という意見もいくらか見られました。私の考えは、これに該当します。はじめてのカメラ選びは、これが最善策であると考えます。

 ただ、そうでない層もあります。そのような層をあぶり出すために、1つの質問を投げかけます。
「あなたはカメラマンになりたいのか、写真家になりたいのか」というものです。
いや、これでは分かりにくいので質問を少し変えます。
「あなたはカメラで写真を撮りたいのか、写真というかたちで作品をつくりたいのか」と問いましょう。
 答えが前者であれば、感覚で好きなものを選ぶというのは適切ではありません。ただ写真を撮るのであれば、高速的確なAFや自分の頭を使わなくていい画像処理エンジンなどを搭載した最新機種を選択することになるでしょう。あるいは、主として撮影する被写体によって機種を選択することになります。
 対して後者であれば、カメラの見た目で相棒を決めれば大丈夫です。それはなぜか。デジタルカメラは先にも述べた通り、「真」を「写」すものではなく「真」に基づいて「写」すものだからです。見たものを、自分の意図を交えて写し取るのです。

 自分の意図を交えて写真を撮るときには、様々な設定をすることになります。絞りやシャッタースピード、伴ってISO。他にはホワイトバランスや白黒かカラーかなどが基本事項でしょう。これらによって、写真の画づくりは無限大にも変容します。そこでは、カメラのメーカーや機種という要素は微々たるものです。
 加えて一定水準以上のカメラには、ピクチャーコントロールなどといった名称の、彩度や明度、シャープネス等を選択する機能が搭載されています。これは、メーカーや機種によって呼称や機能性が若干異なりますが、その本質は大差ありません。色味を、自らの意図によって変化させるのです。
 つまり、カメラ選びの初心者に対する意見で「色味がこうだからこのメーカー」などというものも見られますが、そのような言説には一定の疑義が生じるわけです。(もちろん、メーカーによって画像処理エンジンのコンセプトは異なり、色味は確かに相異なります。しかし、色味はユーザーが意図して変えることができるものであり、絶対的な縛りではありません)

 畢竟、初心者は感覚で好きなカメラを選べば良いというのが私の考えです。もし、感覚で選んだカメラで壁に対面したならば、そのときその人は初心者ではありません。次の2種類のうちのどちらかです。1つは、カメラを捨てる一般人。2つ目は、壁の乗り越え方を考える、自分に必要なカメラの特性を考えることができる中級者です。
 もしあなたがカメラを買おうとしている初心者ならば、一度考えていただきたいです。「ただ写真を撮りたいカメラマンなのか、写真で作品をつくりたい写真家なのか」を。
 センサーサイズだの数字上の性能だのというのは、二流カメラマンの戯言です。初心者が気にするべき要素ではありません。センサーサイズについては、画づくりに大きく寄与する被写界深度が全く異なってくるので、重要な要素であることは間違いありません。しかし、それを理解する人は最早初心者とは言えない領域です。そのような人は、自分がどのカメラを選択するべきか、分かっているでしょう。

 本当の初心者は、感覚で、自分の好きなカメラを選ぶことからはじめてみてはいかがでしょうか。

さてさて…

これを書いたときはというと、私は久方ぶりに写真熱が再燃していたんですね。
そして、初心者の友人にカメラを買いたいと言われていた頃。
それで、自分なりにカメラ選びについて再考をして書いたという感じでした。

この考え方は、現時点でも全く揺らいでいません。
初心者は、本当に感覚で選ぶのが最適解なんじゃないですかね(´・ω・)

正直、ネット上の各社ユーザー同士の論争(?)など、醜いものですよ…。
レンズの色収差を拡大比較して批判非難なんて、ねぇ。
SONY Eマウントの口径が小さいとか、写真を撮っててそんなに気になるものなんですかねぇ。
(まぁ、設計が厳しそうで確かに明るいレンズは若干少ない気もするけど)

少なくとも、初心者が気にするような領域ではないでしょう。
気にするとすれば、一定以上の知識・技能が身についてから。
「センサーサイズはフルサイズじゃないと」なんて言説、初心者に向けるものとしては実に不適切だと思います。

私自身は、こういう論争(?)は醜いと言っておきながら面白おかしく見ているので、否定はしません。
Zマウントは良いと思うし、Zfも欲しいです。(え)
それでもまぁ、偏見が多分に含まれているところですから、初心者には中立的に行きたいものです。

さいごに

noteのアカウントは消しました(^q^)
最近本当にろくなことができていないので、もう少しなんとかしたいOTL

もう今年も終わりに近づいていますが、年が変わる前にいろいろとできると良いなと思います。
ではでは。

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